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BASFのイノベーションストーリー:

赤外分光法

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1938年、BASFの化学者エルヴィン・レーラーとカール・フリードリッヒ・ルフトが、化学産業界の歴史に革命をもたらすことになる装置を開発しました。

200年以上前の1800年、天文学者ウィリアム・ハーシェルは、さまざまな色の太陽光の温度を測定する実験を行いました。彼自身、それまで知られていなかった放射スペクトルを発見することになるとは思いもしませんでした。彼が発見したのは、当初は 「ウルトラレッド」 、後に 「インフラレッド(赤外線)」 と呼ばれることとなったスペクトルで、肉眼では見えず、温度計でしかその存在を示すことのできないものでした。人間には赤外線を目で見ることはできないため、赤外線によって温度が上昇するのを感じるしか術がなかったのです。

物理学者たちは、どうすれば電磁赤外ビームの広いスペクトルを直接高精度で捉えることができるのか、その問題に長い間注力してきました。しかし、これには多くの課題がありました。周囲条件を可能な限り一定に保つ必要があり、ほとんどの測定が暗くて暑い地下室の中で数時間にもわたって行う過酷な作業だったためです。

新たに発見された赤外線の実用化が進展したのは、こうした測定プロセスが大幅に簡略化されてからのことです。結果として、赤外線は大きな可能性を秘めていました。赤外光が化学物質を通過すると、分子の一部がエネルギーを吸収して振動し始めます。個々の物質がそれぞれ異なる決まったエネルギーの熱放射を吸収するため、この現象を異なる物質を特徴付けるためのユニークな 「指紋情報」 として利用することができたのです。

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当時の製品カタログでは、URASを「非常に汎用性が高い」測定装置と紹介。

1938年、BASFの化学者エルヴィン・レーラーとカール・フリードリッヒ・ルフトは、化学産業界の歴史に革命をもたらすことになる装置「URAS」を開発しました。URASとは、全自動式の赤外線吸収レコーダー(Ultra-Rot-Absorptions-Schreiber)で、100種類以上のガスの濃度を迅速かつ確実に測定することができました。URASは化学産業だけでなく、鉱山や道路・トンネル等の建設現場、医療施設においても、作業プロセスを円滑にし、労働安全性を向上することができたため、BASFは「非常に汎用性が高い」測定装置として世の中に紹介しました。

URASの開発は、特に化学産業界において大きな前進となりました。それまでは、ガスのサンプルを苦労しながら採取し、研究所に運んで分析する必要があったため、汚染が確認される頃には、問題となるガスはすでに現場で大量発生していました。

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プリント出力されるスペクトルは手作業で分析する必要がありました。

特にBASFでは、URASは、BASFにとって特別な重要性を持つアンモニア合成の工程を大幅に簡略化することに貢献しました。以前は、一酸化炭素汚染による生産ロスが度々発生していました。ハーバー・ボッシュ法の開発から約30年後、BASFの化学者はURASのおかげで再び生産の安全性と効率性を高めることに成功し、URASは1986年までに合計1122台生産され、当時最も一般利用に貢献した分析装置としてナンバーワンに位置付けられました。

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歴史の一部として、BASF本社のあるルートヴィッヒスハーフェンには、URASが記念として保管されています。

 

赤外分光法はその後も数十年の年月の中でさらなる発展を遂げました。測定装置は小型化し、作業工程も短縮されました。URASの発明から80年以上時を経て今、BASFはHertzstückTM (ヘルツシュテュック)という超薄型赤外線センサーにより、分光学の歴史の新たなページを開きます。